先日長岡京大極殿跡の西側350mの地点(向日市向日町南山3 向日市立向陽小学校校内北側)で、大規模な複廊(中央に壁がありその左右に廊下、写真)の
21本の掘立柱跡が発掘されました。これまで長岡宮の正殿である「大極殿」、その南にあった国儀大礼を行う「朝堂院」、大内裏の東側にあって天皇の私的な居場所の「内裏」である「東宮」(ひがしみや)などは発掘され位置が確定されていました。

一方日本書紀に続く勅撰史書で697年から791年までを記した続日本紀に、「西宮」(にしみや)の記述が見られます。巻第四十の延暦8年(789年)2月27日の項に「移自西宮 始御東宮」とあり、“西宮より移って新しい東宮に遷御した”として西宮の存在が推測されますが、その西宮は長岡大極殿の北か西にあると考えられて来ました。

そして今回西側に西宮の周りを囲った塀の北西角と見られる複廊遺構が発見されました。これが西宮の可能性が高いことは、次の理由によります。
 
  1) 既に知られている東宮と大極殿を挟んでほぼ対称の位置にある
  2) 発掘された遺構は、石組み雨落ち溝なども伴った大型の遺構である
  3) 南にある以前発掘の門跡とほぼ連なり、門の位置から推して区域全体は
      東宮と同規模である
  4) 東宮と異なり、遷都当時に造営された大極殿の中軸とほぼ一致する
  5) 掘立柱構造の複廊は、平城京と後期難波宮で内裏区画として使用された
       のと同じ建築様式である
 などです。

発掘されたものは一部であり、また他の施設跡との意見も出されているが、総合的に判断して続日本紀にある遷都後5年間桓武天皇の居所であった内裏の
「西宮」の複廊遺構と見てよく、この南東一帯に2万uの西宮があったと考えら
れます。

そこで「乙訓の文化遺産を守る会」では、この
重要で掛替えのない遺跡を守るための活動を
始めています。

発掘説明会で撮影した写真を以下に載せます
(クリックすると拡大します)。
遺跡全景、
左が北で東方向を望む

奥の方で複廊の西北角と見られる遺構が発見されました。
近くで見た複廊遺構
西側を望む、右が北

南と東方向に、3列に並んだ1辺
1.2m程度、深さ1.5m程度の
掘立柱の穴(合計21基)が見え
ます。
全景
平城宮遺跡展示館展示の複廊模型
    『長岡京西宮推定地』 発掘写真