広瀬遺跡

後鳥羽天皇(上皇)は,高倉天皇の皇子で壇ノ浦で入水した安徳天皇と異母兄弟にあたり,祖父にあたる後白河天皇が1183年4才の時に即位させた天皇である。在位中長く後白河上皇の院政が続いたが,15才の時上皇が登霞(とうか)すると,直ちに退位しその後3代の天皇に23年間にわたり院政をひいた。
後鳥羽上皇は,1199年避暑のため現在の水無瀬神宮付近に離宮(下御所)を構えたが淀川の氾濫で被害があったため,1216年800m西の高台に新しい離宮(上御所)を造ったとされる。
上皇が1221年の承久の乱で隠岐島に配流されるまでの間,1回2〜20日30回の行幸があった。上皇は和歌をよくし,明月記には藤原定家も招かれて1201年以降8年間に15回水無瀬離宮を訪れたとある。

水無瀬離宮の遺構はこれまで確認されていなかったが,今年上御所推定地の南東200mで発見された「広瀬遺跡」は,鎌倉初期の大型建物跡で,上御所の関連施設である可能性が高いとされる。

乙文の会員が撮影した遺跡や遺物などをスライドで示します(地図下の矢印をクリック)。